良いものは真似られる(ヒストリー3)
家電の修理工房をオープンした1996年。
このころの家電業界は、大型店の吸収合併が始まった頃で翌年に北海道拓銀や山一証券が破たんする、まさにバブル崩壊前夜。
弊社は家電販売において大資本家電会社の奈良県進出により大苦戦を強いられていました。
当時の家電業界では、超大型店舗と家族経営店は生き残れる可能性があるが年商10億程度の中途半端な大きさの店は生き残るのが極めて難しいといわれていて、まさに僕の会社がその規模でした。
その中にあって家電の修理工房の新規開発はまさに弊社の命運をかけたプロジェクト。
なんとしても成功させる必要がありました。
この社長ブログの初回(社長ブログ始めます。ヒストリー1)で書いた修理工房の仕組みは、当時としては画期的なだけに、4大新聞はもちろん、各テレビ局などから取材を受け、宣伝してもらえるありがたさと同時に、大手家電量販店の偵察がだんだんと激しくなってきました。
修理工房のノウハウを守るために権利取得を模索しましたが実現せず、ライバル社はさらにそのノウハウを盗むために様々な手を駆使してきます。
お客様を装って店内の一部始終や地階の工房内部(1階修理受け付けカウンターのお客様から地階の工房全体を見下ろせるように全面ガラス張りにしていた)を撮影されたり接客トークを録音されたりは日常茶飯事のこと。
情けなかったのは、当時主力にしていた某家電メーカーの元支店長(つい先月定年され大手家電量販店に顧問で迎えられた)が、突然僕を訪ねてきて修理工房についてかなり詳しく聞かれたことがありました。
褒め殺ししながら世間話を装っていますがあきらかに修理工房の様々な情報を得ようとしているのが見え見えです。
しかし数か月前までお世話になった方だけにむげにもできず、その方が奈良支店長だった時代は競合だった量販店に対して僕と共に戦った同志のつもりだっただけに裏切られ感一杯でとても悲しかったのを思い出します。
さらにショックを受けたことがあります。
ある若者が僕を訪ねてきて「家電の修理工房は今までの使い捨て文化の日本にはない素晴らしい業態で大いに感動したので、是非とも弊社に就職して将来は修理工房の店長としてがんばりたい」と面接に来ました。
チェーン化、フランチャイズ化も視野に入れていたので、修理工房部門としての幹部候補ができることはとてもうれしいと、早速修理工房スタッフとして採用し、早く戦力になるように急いで教育したのですが、1カ月ほどたったところ突然彼が出社しなくなります。
同じその日、隣町に大手家電量販のオープンのチラシが。
そこには店内併設<家電の修理専門工房>オープン!の文字が踊っています。
修理専門工房? 名前似てるな?なんだか不吉な予感がしてそのお店を見に行くと。
おりました彼が?!
その<修理専門工房>の店長として。
つまり弊社に潜入して確実に修理工房のノウハウを得るための競合会社の作戦にひっかかのだとおもいます。
ここまでやるか?!と悔しさと同時に業界の厳しさを思い知った次第です。
それから1、2年のうちに持ち込み専門の家電修理店はほとんどの家電量販店内に併設されていきます。
恥ずかしいかぎりですが、脇が甘すぎると反省しました。
と同時に、良いものはいつか真似られるもの。
さらにいえば、簡単には真似できないのが真のノウハウ。
さらにもっといえば、日々進化させることで競合を寄せつけない=競合が戦意喪失するほど圧倒的な差を付け続ける=それが唯一自分を守る秘訣と改めて思いました。
この経験は、現在の弊社に生かすべく努力しているつもりです。
エスプレッソマシン業界においてオンリーワンな存在であり続ける為に日々進化し攻め続けることが最大の防御と実感します。
攻めの視点で弊社を見たときにまだまだ改善点に気づきます。
日々精進、日々努力。常にお客様の期待を超え続け、社会になくてはならない企業を目指していきます。